海賊帝国の女神〜24話目「仕組み」〜/米田

そして私は引揚(ヒュク)された。

 

 

その後は、再び奉納舞が舞われ、女たちの裸踊りは空の片隅が明るくなるまで続いた。

 

だが、祭りはそれで終わりではなく、着物を羽織った女たちは、御庭で待つそれぞれのパートナーの元に駆け寄って、手を引っ張って、家路につく。

 

祭りの続きは家で行われるのだそうだ。

 

家まで持たないカップルもあるようだが…。

 

 

パートナーがいない女たちは川に飛び込み、火照った体を冷やす事になる。

 

あるいは、自分で慰めるか…もしくは、女同士で何とかするか。

 

 

とりあえず、私はティガの背中に揺られて家路につき、自分の寝ゴザの倒れ込んだ。

 

 

疲れた。

 

なんちゅー祭りだ。

 

だが、今は眠い。

 

4歳児に徹夜なんぞ、無茶ぶりなのだ。

 

まして女の喜びなぞ。

 

とりあえず、寝よう…。

 

 

 

夢も見ないで目が覚める。

 

スッキリした気分だ。

 

太陽は高く上がっているようだが、屋敷は静かだ。

 

皆、まだ眠っているのだろうか?

 

というか、私の隣りにはマィンツとハヌが横たわっていた。

 

何故だか着衣に乱れがあるような…。

 

 

うむ。

 

 

昨夜…と、いうか今朝までの、うねる白い塊が思い出される。

 

それに引揚(ヒュク)…。

 

 

顔が赤くなる。

 

 

が、

 

私は生理的要求に従い外に出て、草むらにしゃがみ込んだ。

 

しゃがみ込みながら頭を巡らす。

 

 

あれは…そういう意味なんだろう。

 

って、どういう意味だ。

 

 

つまるところ、効率よく自主的に、捧げ物を捻出させるための仕組みなんだろう。

 

 

祭祀中の踊り…あの多幸感は異常だ。

 

中毒的でもある。

 

酒が振る舞われ、怪しげな香りが立ち込め、揺れる炎に照らし出される薄暗い空間で、踊り狂う。

 

クラブみたいなものだ。

 

そして祝女(ヌル)の舞。

 

 

マィンツは確かに空を飛んでいた。

 

…幻想を見たのでなければ。

 

 

やはり、何かしら祝女(ヌル)には、人の精神に作用する力があるんじゃないか?

 

というか、そもそも、そうでなければ、祝女(ヌル)の必要性がない。

 

祝女(ヌル)の力というのは、幻覚を見せて、人をトランス状態に誘(いざな)う…つまりドラッグのようなものなんじゃないのか?

 

 

しかし、何故、そんな存在が必要なんだろう?

 

まあ、昔から宗教にはトランス状態的なものは付き物なのだろうけれど…。

 

 

用を済ました私は、自分の家屋に戻り、踏み台に乗ってカメの横にある椀で水を汲み、手を洗い、少し飲む。

 

ただの椀なので扱いにくい。

 

取っ手でもつけたらいいのに。

 

後でウィーギィ爺にでも頼もうかしら。

 

とか少し脇道にそれつつ、思考を戻す。

 

 

何故、人をトランス状態に誘(いざな)うのか?

 

 

ふと、私は、御嶽(オン)の手前の広場…御庭の光景を思い出す。

 

御庭には高床式の家屋があり、ハーティの主子(ウフヌン)であるアバとクゥトが木綴(キトジ)で捧げ物の目録を作っていた。

 

つまり、あの捧げ物はハーティの管理という事になるのだろうか?

 

 

と、言う事は…そうか…。

 

捧げ物の代償として多幸感が与えられる…。

 

そう考えればいいのか?

 

 

私は自分のゴザに寝転がりながら考えを整理する。

 

 

つまり、こうだ。

 

 

祭りは収穫の後、行われる。

 

そして、祭りでは、収穫物が神様への捧げ物として献上される。

 

捧げ物は、祭りの主催者である頭(ブリャ)もしくは主(ウフヌ)の元へ。

 

そして祭祀が行われ、恩寵として多幸感が恵まれる。

 

まず、女たちへ。

 

次いで女たちを通して男たちへ…。

 

 

この場合、祭りが一種の徴税システムになっていると言う事か。

 

 

そう解釈すると、頭(ブリャ)とか主(ウフヌ)が祭祀を主催する意味も通じる。

 

 

と、いうか…ああ…そうか。

 

 

だから、祭祀を司る祝女(ヌル)は、頭(ブリャ)や主(ウフヌ)の身内なのか。

 

なるほど。

 

 

納得しながら、天井を見つめる。

 

 

だけれど…。

 

 

と、疑問が浮かぶ。

 

 

トランス状態が麻薬(ドラッグ)的なものによるならば、副作用は大丈夫なのだろうか?

 

常習性があったり、脳が萎縮したり、勤労意欲が減退したり…とか?

 

う〜ん

 

 

私は寝返り、壁を見つめて、もう少し思考を巡らす。

 

 

…いや。

 

 

もしも勤労意欲が減退したりするとなると、次の収穫に影響あるだろうし、そもそも、祝女(ヌル)がいないと、祭祀は行われないし、祭りの時は収穫後と決まっているわけだから、常習性といっても収穫期単位であるなら、問題ないのか。

 

脳が萎縮するとか、何か悪作用があるかどうかは、よくわからないが。

 

 

「すごいです。マィンツ様」

 

 

隣りで寝ているハヌがいきなり声をあげた。

 

私はビックリして思わず起き上がり、二人の寝顔を見た。

 

寝言のようだ。

 

ハヌは口を半開きにして「むにゃむにゃ」と寝ている。

 

マィンツも綺麗なまつ毛をしっかり閉じて静かに寝息を立てている。

 

平和そのものの二人の寝顔を見ながら、ゆっくり横になって考える。

 

 

祭祀の影響で…脳が萎縮するとか何か悪作用がある様には、この二人の寝顔を見る限り、思えない。

 

で、あるなら…。

 

 

良くできた仕組みと言うべきか?

 

 

というか、元の世界でも、祭りなんて、そもそも、そういうモノだったのかもしれない。

 

だとするなら、原始的な仕組みと言うべきか?

 

まぁ、無理やり

 

 

『お代官様、それは勘弁してくだせぇ。来年の種もみですだぁ』

 

『ならぬ。決まった税を納めるのは絶対じゃぁ』

 

 

みたいなやりとりの上の徴税よりは、遥かにマシか。

 

 

とりあえず、一通り理解した気分で、私は思考を止めた。

 

瞼が重くなり、頭の中が白くなって来る。

 

私は再び、眠りについた。