海賊帝国の女神〜27話目「ガンシュ婆(バーバ)」〜/米田

予想通りと言うべきか、予定通りと言うべきか、チュチュ姐(ネーネ)が産気づいたのは、マィンツとハヌがナータの家に帰った夜だった。

 

シャナがウォファム村から子供を取り上げた経験がある女たちを呼び、ニャクチャとティガがドタバタ走り回り、ウィーギィ爺(ジージ)がお湯を用意する。

 

ハーティは母屋から出て来ず、どうやら寝ていたようで、コルセはマィンツたちをナータ家に送っていたので、留守だった。

 

私も…することがないので、騒ぎを感じつつ寝ていた。

 

朝方、子供は無事生まれたようで、女の子だとニャクチャが知らせに来る。

 

私はそのまま母屋に移動し、ニャクチャとティガが用意した朝食を取った。

 

子供が生まれたばかりとなると、ウィーギィ爺(ジージ)は忙しくなりそうだし、チュチュ姐(ネーネ)も当分起き上がれないだろうから、ティガも忙しくなるだろう。

 

そうなると、御嶽(オン)巡りなんてすぐに出来そうにないな。

 

とか思いつつ、ご飯を食べていると、シャナが誰かを案内して戸口から入って来た。

 

 

あ、ガンシュ婆(バーバ)だ。

 

 

「お早うございます。ハーティ殿」

 

「うむ。朝からご苦労だなガンシュ婆(バーバ)。子供はもう見たのか?」

 

「今から見るところです。」

 

「そうか、無事育つように祈ってくれ。…チュチュの産褥の癒しも頼む。」

 

「わかっております。」

 

 

ああ、そうか。

 

子供が生まれたから祈女(ユータ)が呼ばれたのか。

 

てか、本来は私の務めじゃね?

 

私も一応祈女(ユータ)だよね?

 

いや、正確には神子(カンヌン)だけれどさ。

 

いやいや、もっと正確には…何でもない子か…?

 

とか言っている場合じゃねー!

 

一応、どういうい事をするのか、知っておいた方が良いか。

 

 

と、いうことで、私は、急いで食べかけの椀を置いた。

 

 

「クーも行く!」

 

「む?」

 

 

ハーティは少し怪訝な顔をした。

 

 

「クーも祈女(ユータ)だから、ガンシュ婆(バーバ)のお手伝いがしたい。」

 

「むぅ。」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)が笑い出した。

 

 

「クィンツ様が手伝って下さるなら、心強いです。是非。」

 

 

そう言われたのなら、ハーティも異論がないらしい。

 

黙って見送ってくれた。

 

 

私はガンシュ婆(バーバ)や、シャナと一緒にチュチュ姐(ネーネ)と赤ん坊がいるウィーギィ爺(ジージ)の寝所に行く。

 

そのまま家屋に入るのかと思えば、ガンシュ婆(バーバ)は戸口の前に立って、手を合わせ、何やらぶつぶつ唱えだした。

 

聖別の祈祷だ。

 

 

「クィンツ様、これを。」

 

 

祈祷の後、ガンシュ婆(バーバ)は腰にぶら下げていた荒縄を私に渡す。

 

 

「これで、家の周りをぐるりと囲んで下され。」

 

 

シャナに手伝ってもらい、言われた通りに荒縄で家屋の周りをぐるりを囲んで、ガンシュ婆(バーバ)の傍に戻ると、ガンシュ婆(バーバ)は再度聖別の祈祷を唱え、私にも同じ文言を唱えるように促した。

 

私は手を合わせガンシュ婆(バーバ)に習って聖別の祈祷を唱和する。

 

 

「四宝の神様よ(シシャーヌカンシャーユ)、ならびに(ヌラブヤ)八方の主々よ(ハトゥヌスヌウスユ)。どうか(ディンカー)私の声に(ワンヌオヌ)耳を向け(ジブラサ)、私の願いを(ワンヌヌオヌ)聞き給え(キチュトーマゥ)。今ここに(ヌークコーヌ)縄目を以て(ノシムゥテ)巡られた(メグランチュ)、張りなる内々を(バルヌチュチュォ)、豊穣の主を(トヨホヅヌヌシャウォン)お迎えいたす(ウームグイトーチュ)神域とし(カンヌクテゥシ)、清め(セイバ)、邪を払い(ウァクバライ)ませますように。(イトナルチュウチュウヌ)」

 

 

突然周囲が暗くなった。

 

 

これは、覚えがある。

 

例の光の塊がぶつかった時と同じだ。

 

そして、光の塊もあった。

 

近い!

 

えらく近い位置にある。

 

と、思ったら、光っていたのは、私が胸の前で合わせた手だった。

 

というか、私の体全体が光っている。

 

 

おお!

 

 

って思っている所で、突然、光は私の体を飛び出して、正面に立つ。

 

光が立つというのは変な話しなので、正確に言うと、光っている人型の何かが立ったと言うべきだろうか?

 

 

「何で主が唱えているとよ。」

 

 

と、光は言った。

 

 

「はい?」

 

 

私はかなり素っ頓狂な声を上げたと思う。

 

光は、私に向かってひょいとぶつかって来て、消えた。

 

 

周囲は普通の景色に戻っている。

 

 

それは白昼夢か何かだったのか?

 

ガンシュ婆(バーバ)が怪訝そうな顔で私を見ていた。

 

 

「どうされましたか?クィンツ様」

 

「え?あ?なにも」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)は私を見つめ、首を降ってから家屋に入って行く。

 

私とシャナも後に続いた。

 

 

今のは何だ?

 

 

あまりに突然の事で頭が回らない。

 

 

ウィーギィ爺(ジージ)の寝所は、私の寝所とさほど変わらなかった。

 

ただ、土間に刈り取った草が堆(うづたか)く積まれている。

 

床の端にも糸巻きらしいものがいくつか並べられていた。

 

 

土間の草は中草(チュソ)と言い、その繊維から糸が作られる。

 

ウィーギィ爺(ジージ)の寝所の隣りの家屋は織所で、布が織られている。

 

その材料となる糸をここで紡いでいるのだ。

 

 

村人らは暇があれば糸を紡ぎ、布を織る。

 

そんな暮らしぶりを体現しているような家屋だ。

 

 

床の中央にゴザが敷かれ、着物がかけられたチュチュ姐(ネーネ)が眠っていた。

 

下腹部が布で巻き巻きにされ、まるでオムツ見たいで、チュチュ姐(ネーネ)の方が赤ん坊のようだ。

 

傍にはバケツのような桶があり、中に布が敷かれ、本物の赤ん坊が置かれているらしい。

 

よく見えないが。

 

ウィーギィ爺(ジージ)が、桶の横でしゃがみこんで、ウトウトしている。

 

手伝いに来た女たちは、既に引き上げた後らしく、ウィーギィ爺(ジージ)たち以外は誰もいない。

 

 

ガンシュ婆(バーバ)は声も掛けず、床にも上がらず、土間に立ったまま、腰にぶら下げた棒状のようなものを取り出した。

 

それから、何かを唱え始める。

 

家人らを起こさず祭祀を執り行うつもりのようだ。

 

 

棒状の先っぽが光り出してきた。

 

私とシャナは、思わず「おおぉ」っと唸る。

 

だが…。

 

 

『トロイな』

 

 

と、耳元で誰かが言った。

 

 

「はい?」

 

 

私はあわてて周りを見回が、もちろん誰もいない。

 

シャナが息を飲んでガンシュ婆(バーバ)を見つめているだけだ。

 

 

ポっとガンシュ婆(バーバ)の持った棒の先に火が灯る。

 

 

「おお。」

 

 

とガンシュ婆(バーバ)が声を上げた。

 

 

「すごい」

 

 

シャナも感嘆の声を上げる。

 

呪文を唱えて火をつけたのだから凄い。

 

魔法だ。

 

私も感動してしまう。

 

 

理屈は棒の先の空気を極度に圧縮させ、圧力で火をつけたのだ。

 

物理力を伴わないで!

 

 

ただ、やったのはガンシュ婆(バーバ)ではない。

 

ガンシュ婆(バーバ)の唱えが成立する前に手が貸されていた。

 

 

「今日は調子が良いの。」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)は独り言(ご)ちると棒を降って、先端に着いた炎を消した。

 

炎は消えても、火種は残っており、棒の先端は赤く光っている。

 

線香みたいだ。

 

線香ほど細くも短くもないのだが。

 

 

細い煙が棒の先端から立ち上る。

 

ついでの匂いも漂って来た。

 

このイマイチ心地よくない香りは…高草(タカソ)だ。

 

 

ガンシュ婆(バーバ)は高草(タカソ)の香りを放つ棒を振り回しながら、目を閉じて祈祷を唱え始めた。

 

 

「豊穣の主よ(トヨホヅヌヌシャウォン)、火食の神(ヒヌクイカヌンシャ)イリキヤアマリ神よ(シーヌ)、神々の(カヌカヌヌ)賜りに(チョウヌ)深く深く(フクゥフクゥ)感謝いたします(ムヤトウシム)。恵みにより(ムングゥヌスゥ)生まれた(ウミャァトォ)赤子が(マァグァ)何卒(ヌントズウ)すくすく(ティダヌファ)育ちますように(ティダヌヌ)。この家に(クンチュヌ)神々の(カヌカヌヌ)良き息吹が(ウシキウイキグ)流れ(リュール)、悪しきものが(ウシクィムヌグ)留まれず(タマラヌズ)、清らかな(キユリキ)幸が(ユイグ)柱を太らせん(フシラブトルシン)賜え(タミュ)。父に力を(ビゲヌチキリム)、母に健やかを(ブネヌグティダム)、傷はすぐ(ショウクヨ)癒し(ヌウシ)賜え(タミュ)。」

 

 

棒の先端から立ち上がる細い煙が、くるりくるりを輪になって、家の中に広がっていく。

 

PM2.5は大丈夫かいなとか思ってしまうのだが、ここで異を述べるほど私は空気が読めないワケでもないので、とりあえず黙って見守る。

 

ちょっとだけ、胸がトクトクして来た。

 

やっぱり高草(タカソ)の煙って何か興奮作用でもあるんじゃないのか?

 

部屋の中がぼんやり光っているようにも見えた。

 

 

「ささ、クィンツ様もご一緒にお唱え下さい。」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)に促される。

 

だが、それに応じる気分になれない。

 

やりたい事は、高草(タカソ)の煙を媒介に、空気中の小さなゴミや菌を集め、個別に極小の空気圧縮で燃やしてしまおうという事らしい。

 

だが、結局燃えカスが残って空気中に漂うから大した効能はない。

 

雑菌がなんぼか減るだけだ。

 

 

何だろう。

 

もっとやりようがあるような気がする。

 

 

「どうなされましたか?クィンツ様」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)が片目を開いて私を見た。

 

私は、ガンシュ婆(バーバ)の一歩前に出て、スゥーっと息を吸い込む。

 

それから、ふーっとゆっくり深く吐き出して見た…。

 

 

ブワっと一陣の風が家屋を吹き抜ける。

 

次いで様々な色の光の粒が、至る所に浮かび上がり、花火のように弾けて、あちこちで広がり、砕け散った。

 

まるで光のシャワーのようにも見える。

 

そんな光景が数秒続いたかと思うと、再びブワっと風が吹き抜け、静寂が訪れた。

 

部屋を満たしていた高草(タカソ)の煙も、香りも、どこかに消え去っている。

 

 

風で空気を入れ替え、空気圧縮とプラズマ効果で殺菌したのだ。

 

ついでにプラズマ治療でチュチュ姐(ネーネ)の傷も軽く癒しておいた。

 

完治は無理だが、少しは良くなるだろう。

 

最後に室内から風を起こして残留物を屋外に飛散させた。

 

 

「え?ええ?」

 

 

静寂を破ったのはシャナの声だった。

 

ガンシュ婆(バーバ)は目をクワッと見開いている。

 

 

「こ、これは…。」

 

 

私は、何となく、『問題なく出来た。』と、納得した気分になっていた。

 

それは、何だか私自身ではないかのような気分だ。

 

私の中には、何じゃこりゃ?っていう気持ちもあったし…。

 

 

とりあえず、言葉を飲み込んだような感じで、ガンシュ婆(バーバ)は外に出る。

 

ウィーギィ爺(ジージ)らは、寝たままだったから、何が起きたのかは、まったく気づかなかっただろう。

 

私らは家屋を囲んでいた荒縄を片付ける。

 

ガンシュ婆(バーバ)は、巻かれた荒縄を、どこか恭(うやうや)しく受け取ると、何か考え込んでいるような、ゆっくりした足取りで母屋に入って行った。

 

 

「終わりました。ハーティ様。」

 

「おお、お疲れ様。ガンシュ婆(バーバ)…ん?様?」

 

 

横になっていたハーティが起き上がって姿勢を正す。

 

ガンシュ婆(バーバ)はそんなハーティに向かって深々と頭を下げたまま、土間で立ち尽くしていた。

 

私とシャナは、どうして良いのかわからないまま、ガンシュ婆(バーバ)の後ろに立っている。

 

 

「ど、どうしたガンシュ婆(バーバ)?」

 

 

ガンジュ婆(バーバ)の異常さを察して、ハーティが声を掛ける。

 

後で聞いたのだが、ガンシュ婆(バーバ)はハーティがウォファム村に来る前から祈女(ユータ)だったから、決してハーティを様付では呼ばなかったらしい。

 

それがいきなり様付で呼んだので、ハーティはそれもあって、かなり困惑したのだそうだ。

 

 

「感動致しました。」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)が頭を下げたまま答えた。

 

心なしか震えているようだ。

 

 

「何があったのだ?クィンツ」

 

 

ハーティは困ったように私とシャナを交互に見た。

 

私は何と言ったら良いものかと、小首を傾げる。

 

 

「凄かったのです!」

 

 

と、シャナが大声をあげた。

 

 

「な、何がだ?」

 

 

ハーティは目をパチクリさせながらシャナを見た。

 

 

「クィンツ様が、こう、フーッとしたら、バーーって風が吹いて、キラキラしたんです!」

 

 

まぁ、言っている事は間違ってはないんだけれど、言葉が足りない。

 

 

「はぁ?何を言ってるんだ?」

 

「ハーティ様のおっしゃられた事は間違いございません。」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)が震えながら声を出す。

 

それから、グイっと頭を上げて続けた。

 

 

「まさに、まさに、クィンツ様は、イリキヤアマリ神の化身でございます。」

 

 

ガンシュ婆(バーバ)は目をクワっと見開き、涙をボロボロ流しながら、ハーティを見据えた。

 

 

その勢いに、ハーティは逆に引いたようだった。

 

 

「そ、そうか。…う、む。そうであろう。」

 

「はい。このガンシュ、この歳となり、生ける神女(カンヌ)様と合間見えますとは!まさに至極の喜びでございます。」

 

「う、うむ。」

 

 

何と言って良いのかわからないハーティは、当たりをちょっと見回す。

 

こう言う時は、主子(ウフヌン)らに適当に任せていたのだろうが、今日はコルセがいない。

 

通いの主子(ウフヌン)らもまだ来ていない。

 

ハーティはちょっと頭を掻くと、そのまま腕組みして黙り込んだ。

 

とりあえず、やり過ごす作戦なのだろう。

 

変に喋らない方が威厳を保てる。

 

さすがハーティだ。

 

 

ガンシュ婆(バーバ)はそのままウルウルと泣き続け、私は仕方がないので、そおっと横を通って床に上がる。

 

 

シャナは土間に中草(チュウソ)の束を見つけると、いくつか引き抜いて、しゃがみ込んだ。

 

とりあえず、糸を紡ごうという事だろう。

 

シャナは元々村の普通の子だから、時間があれば、糸を紡いでおけと躾(しつけ)られているのだ。

 

その点私は、することがなければボーッとしているだけだ。

 

 

あれ?ニャクチャとティガはどうした?

 

朝食の後片付けをしているのだろうか?

 

それとも洗濯に出たのかもしれない。

 

 

私は腕組みして座るハーティの傍に座って、なんであんな事が出来たかなぁとか、考え始めた。

 

答えはわかっている。

 

ガンシュ婆(バーバ)が言うように、私が神女(カンヌ)だからだ。

 

 

いつの間にか神女(カンヌ)になっていたようだ。

 

いつなったのだろう?

 

 

確かまだ、神子(カンヌン)じゃなかったっけ?

 

それともこれは神子(カンヌン)としての力なのかな?

 

 

『おい、お前誰だよ。』

 

 

私は心の中で呟いてみる。

 

誰だか分かってはいるのだけれど。